日蓮聖人

日蓮聖人の『立正安国論』に学ぶ

11月 25, 2009 by 赤池まさあき · 4 Comments 

knm

 京都国立博物館

  「国づくり(平和)、地域づくり(繁栄)は、人づくり(幸福)から」をモットーに、全身全霊で駆け続ける赤池誠章です!いつもお世話になり、有難うございます!

  「教育再生国民集会in山梨」の日程と会場が決まりました。平成22年2月17日(水)夜、甲府市総合市民会館芸術ホールです。安倍晋三元内閣総理大臣はじめ、政治家や有識者が結集します。詳細は、今後順次アップしていきますので、多くの方々の参加をお願いいたします。

  多くの方に知ってもらいたいので、クリックをお願いいたします。

 

 ●紅葉の京へ

 11月22日(土)は松下幸之助翁の墓参で和歌山まで足を運びましたので、翌22日(日)は紅葉の京都へ立ち寄りました。大変な評判だというので、10月10日から開催され、11月23日(月)で終了となる、京都国立博物館の「特別展覧会/日蓮と法華の名宝-華ひらく京都町衆文化-」を見学しました。紅葉の京都は底冷えがして、相当肌寒く感じました。折から、雨も降り出し、より一層寒さが身にしみます。三連休の中日でしたので、生憎の天候にもかかわらず、観光客で賑わっていました。

  今年は、日蓮聖人が文応元(1260)年、39歳の時に鎌倉幕府前執権・北条時頼(第5代執権、元寇時の8代執権・時宗の父)に、『立正安国論』を献じて、750年となります。それを記念して、国宝や重要文化財、寺宝、秘仏などの初公開を含め、法華文化の名宝を集めた特別展です。京都国立博物館は、東山を望み、三十三間堂の前にあり、隣接して豊臣秀吉を祀る豊国神社があります。常設館は工事中で、特別展が明治時代のレンガ造りの洋館で開催されています。東京の法務省と同じ雰囲気があります。

  この名宝展を企画したのは、京都国立博物館と日蓮聖人門下連合会(日蓮宗、日蓮本宗、法華宗本門流法華宗真門流法華宗陣門流、本門法華宗、顕本法華宗本門佛立宗国柱会日本山妙法寺、京都日蓮聖人門下連合会)です。日蓮聖人が最高経典とした法華経の教えを頂く教団は、本当に数多くあります。今回主催団体に名前を連ねている教団以外にも、創価学会、立正佼成会、霊友会、佛所護念会などもあります。時代を越えたそのパワーには、驚くべきものがあります。各団体の政治的立場は、国家主義から反戦平和主義まで、右から左まで幅広いものがあります。法華経の影響を受けた人物は、北一輝、石原莞爾、宮沢賢治、双葉山、石橋湛山、土光敏夫、武見太郎、美空ひばり、中村八大など、政治、経済、科学、文化面と幅広い方々がいます。私が尊敬する政治家は石橋湛山です。その湛山は日蓮宗管長の子息であり、法華経の影響で育ちました。その教えを改めて知る契機にしたいとも思いました。

 

 ●法華文化の力

 今回の特別展を見て、当然ですが本物のエネルギーが実感でき、現在まで続くパワーの根源を感じました。展示は5ブロックに分かれています。パンフレットによって、5ブロックの説明とします。http://www.nichirenshoninten.jp/

  「第1部法華文化の展開」では、伝統的な法華経文化を継承し、日蓮諸宗独自の宗教文化を形成する過程が通観できます。

 「第2部 日蓮とその時代」では、『立正安国論』を軸とした御書、絵画類を通じて日蓮の生涯をたどっています。

 「第3部 京都開教と西国への展開」では、日蓮の弟子・日像(にちぞう)による京都開教以降、西国への法華の展開と隆盛を追っています。

 「第4部 京都受難の時代」では、天文元年(1532)の天文法華の乱、天正七年(1579)の織田信長による安土宗論での敗北、文禄四年(1596)の豊臣秀吉の方広寺大仏殿千僧供養への参加強制を巡っておこった不受不施派の弾圧という、政治と信仰との対立により被った受難の時期を振り返っています。

 「第5部 復興と近世文化の開花」では、京都の日蓮諸宗は、町衆といわれる上層町人階級によって支えられますが、そこから日本の美術をリードする文化が生み出され、狩野元信、長谷川等伯、本阿弥光悦、俵屋宗達、尾形光琳、尾形乾山は、みな法華の信者でした。当時の有名芸術家はほとんど法華信徒だったということです。名品を通じて、京都町衆と日蓮諸宗と京都文化とのつながりを再認識しました。

  評判通り、盛りだくさんで、一つ一つ見だしたら、時間がとても足りませんでした。剃髪したお坊さんを何人も見かけましたし、年配の方々が多かったのですが、どなたもとても熱心に見入っていました。

 

 ●三十番神像

 私が興味深かったのは、神仏混淆の影響でしょうか、第1部のエリアにあった「三十番神像」(さんじゅうばんじんぞう)です。恥ずかしながら、不勉強で初めて知りました。これは、旧暦の1ヶ月30日の間、毎日交代で国家や国民を守る三十の神々のことです。本地垂迹(ほんちすいじゃく)思想から起こったものだそうです。うーん、遥か昔日本史でやったような気が・・・・。その思想とは、仏教を神道と両立させるたえに、日本の八百万の神々は、仏(如来、観音、菩薩など)が、衆生を救うために、その国土にふさわしい姿(日本の場合は八百万の神々)で現れる(権現)というものです。

  「三十番神」は伝教大師、最澄が比叡山で初めて祀ったとされ、平安時代末には一般に広がり、鎌倉時代に盛んに信仰されるようになったといます。特に、日蓮宗寺院に三十番神像が多く祀られるのは、京都開教の日像(にちぞう)上人が、神祇信仰の盛んな京都で布教するために、取り入れたことによるものだそうです。「三十番神」を信仰する教えを法華神道ともいうそうです。特別展には、南北朝から室町、桃山時代の6種類もの「三十番神像」が展示されていました。明治政府の廃仏毀釈によって、神道と仏教が分離されたので、神仏習合の感覚がピンとこないのですが、日本古来の神様を日替わり拝むということは、庶民にとって分かりやすいものだったのでしょう。前述したように、仏が中心で、神々が従となります。その反対の考え方が鎌倉中期から生まれ、反本地垂迹説、神本仏迹説です。室町中期から戦後時代に活躍した吉田兼倶(よしだかねとも)が推進しました。吉田神道とも、唯一神道ともいわれました。吉田兼倶は反対の立場から「三十番神」を信仰したといいます。特別展には、吉田兼倶の直筆の手紙が展示されていました。

 

 ●天照大神が女から男へ

 

 「三十番神像」は一番上に「南無妙法蓮華経」があり、6段あり、1弾5名で、計30柱となっています。一番上の段が右から以下です。カッコ内は、私が調べて記入した、本地仏と現在の神社名です。(写真は、富山県高岡市・大法寺蔵の長谷川等伯筆の重要文化財。売店でクリアファイルとして売られていましたので、早速買いました)

 tohaku02

  • 十日 天照大神(大日如来、伊勢神宮内宮)
  • 十一日 八幡大菩薩(阿弥陀如来、石清水八幡宮)
  • 十二日 賀茂大明神(正観音、上賀茂神社、下鴨神社)
  • 十三日 松尾大明神(毘婆尸仏、松尾大社)
  • 十四日 大原大明神(薬師如来、大原野神社)

 上から二段目右から以下です。

  • 十五日 春日大明神(釈迦如来、春日大社)
  • 十六日 平野大明神(正観音、平野神社)
  • 十七日 大比叡権現(釈迦如来、日吉大社西本宮)
  • 十八日 小比叡権現(薬師如来、日吉大社東本宮)
  • 十九日 聖真子権現(阿弥陀如来、日吉大社宇佐宮)

 

 三段目右から以下です。

  • 二十日 客人大明神(十一面観音、日吉大社白山姫神社)
  • 二十一日 八王子権現(千手観音、日吉大社八王子社)
  • 二十二日 稲荷大明神(如意輪観音、伏見稲荷大社)
  • 二十三日 住吉大明神(正観音、住吉大社)
  • 二十四日 祇園大明神(薬師如来、八坂神社)

  四段目は左からとなり、以下です。

  • 二十五日 赤山大明神(地蔵菩薩、赤山禅院)
  • 二十六日 建部大明神(阿弥陀如来、建部大社)
  • 二十七日 三上大明神(千手観音、御上神社)
  • 二十八日 兵主大明神 (不動明王、兵主大社)
  • 二十九日 苗鹿大明神(阿弥陀如来、那波加神社)

  五段目右から以下です。

  • 三十日 吉備大明神(虚空蔵菩薩、吉備津神社)
  • 一日 熱田大明神(大日如来、熱田神宮)
  • 二日 諏訪大明神(普賢菩薩、諏訪大社)
  • 三日 広田大明神(勢至菩薩、広田神社)
  • 四日 気比大明神(大日如来、気比神宮)

  一番下録段目は左から以下です。

  • 五日 気多大明神(阿弥陀如来、気多大社)
  • 六日 鹿島大明神(十一面観音、鹿島神宮)
  • 七日 北野大明神(十一面観音、北野天満宮)
  • 八日 江文大明神(弁才天、都久夫須麻神社・宝厳寺)
  • 九日 貴船大明神(不動明王、貴船神社)

  興味深かったのは、「三十番神像」が6種類掲示されていたのですが、十日の天照大神の描き方が、南北朝時代は女性であったのが、時代が経て室町から桃山時代になると、男性になっていたことです。時代によって、女性神から男性神へと変わるのかと思いました。

 

 ●日蓮聖人真筆『立正安国論』

 「第2部 日蓮とその時代」には、日蓮聖人が書かれた南無妙法蓮華経の題目と諸仏が書きこまれた曼荼羅や、特別展の目玉である国宝に指定されている真筆『立正安国論』が展示されていました。本物の字を直に見ることは、その方を知る上で、大変役立ちます。日蓮聖人の曼荼羅は聡明で雄大、勇壮な感じがいたしました。『立正安国論』となると、さらにそれに危機感と悲壮感が加わって、書きなぐっているような熱情・激情を感じました。(右の写真は、日蓮宗ポータルサイトから

 展示品を見終わった後、出口にある売店で、『立正安国論』(講談社学術文庫)を買い求めました。以前購入し読んだ記憶がありましたが、真筆に感激して、改めて買ってしっかり読みました。以下、要旨を抜粋します。

  『立正安国論』は、正嘉元(1257)年に関東南部に大地震が襲い、干ばつがあり、翌年には大風が襲い、同三年には大飢饉となりました。そして、それと同時に疫病が大流行して、死屍累々の状況だったといいます。『立正安国論』そのような悲惨な状況から、客と主人の談話という形で書き起こされます。客の想定は、本書を上程した、時の権力者(北条時頼)が代表する念仏に帰依する立場の人であり、主人はもちろん日蓮自身です。

 

 ●第一段は、災難に見舞われる原因は?

 旅の客が嘆いて言いました。飢饉や天災、疫病がはやる中で、当時の一般的な神仏に頼んでもだめ、政治もだめ、その理由は何かと問います。

  主人は言います。根本原因は「世はみな正しい教えに背き、人々はことごとく悪法に染まっている」「ゆえに、善神と聖人が国を捨て去ってしまった」からだと。

 

 ●第二段は、その証拠は?

 第二段では、客はその証拠はどこにあるのかと聞いてきます。主人は答えて、「金剛明経」「大集経」「仁王経」「薬師経」の四つの経文にあり、それぞれを説明します。

 

 ●第三段は、末法の世では悪僧が惑わす

 第三段では、客は色をなして反問します。仏教伝来以来、天皇陛下から万民に至るまで、仏像をあがめ、経文を読んでおり、寺院はたくさんあって、仏法が盛んになっているにもかかわらず、なぜ正しい教えに背くことになっているのかと。

  それに対して、主人は諭して言います。確かに指摘通りだが、しかし実際はどうかといえば、法師は媚びへつらい、人を惑わし、王臣は無能にして正邪の分別できません。そのことは、「仁王経」「涅槃経」「法華経」に書いてあり、末法(正法→像法→末法)という悪の世の中では、悪僧が聖人ぶって世を惑わすのです。

 

 ●第四段は、名指しで専修念仏の法然を批判

 第四段では、さらに客が怒りを増しながら質問します。どうして貴方はそのように惑わすことを言うのか。誰が悪僧というのか、詳しく説明して下さい。

  主人は答えます。後鳥羽院時代、京都にいた法然(1133~1212年)です。「選択集(選択本願念仏集)」において、釈迦の教えを批判し、人々を惑わしています。「選択集」の教えを詳しく説明します。その教えとは、この娑婆世界において悟りを開こうという聖道門に対し、来世浄土への往生に救いを求める浄土門が大事であり、阿弥陀仏にすがり、難行道よりも易行道である念仏を唱えることこそが大事であると。末法の世において、人々は浄土三部経以外に頼る経典がなく、阿弥陀仏以外に頼る仏がないと思い込んでいます。根本の元凶である専修念仏の教えを禁止する以外にありません。

 

 ●第五段は、方便と真実の教えの違い

 第五段では、客がますます怒りを露わにして言います。釈迦仏が浄土三部経を説き、高僧たちがその教えを広めてきた。それによって、多くの人々が往生してきた。その中でも、法然は知恵や徳望が高いのに、その法然を誹謗中傷していると。客は怒りのあまりに席を立とうします。

  主人は微笑み、そして客を留めて言います。あなたは悪にどっぷり染まって、善悪の区別さえつかなくなってしまっていると。詳しく説明をしましょう。釈迦の教えには、順番があり、方便(権教)と真実の教え(実教)があります。浄土の教えは、先に説かれた方便の教えであり、後から説かれた真実の教えである「法華経」を捨ててしまっています。法然は、自分勝手な解釈をしています。

  近年の災害の原因は先例にもあります。滅亡する前の周の国は、礼儀が廃れてしまっていました。唐の武宗皇帝は、弥陀念仏の教えを広めさせると、外敵から侵略を受け、内乱が起こり、滅亡してしまいました。日本においても、法然が受戒した後鳥羽院が承久の乱に敗れ、隠岐に流されてしまいました。念仏が災いをもたらすことは、シナにも前例があり、我が国にも証拠が歴然としています。凶(浄土の教え)を捨て善(法華経の教え)に帰し、源を塞いで根を折るべきです。

 

 ●第六段は、仏の子(地湧の菩薩)の使命

 第六段では、客は怒りを和らげて言います。すべて分かったとは言えませんが、ある程度の趣旨は分かりました。しかし、京都から鎌倉まで、仏教界の指導者が多くいるにもかかわらず、朝廷や幕府に上申している人がいません。なぜ卑しい身の貴方がそういうことを言うのですか。

  主人は言います。私はまだまだ不十分とはいえ大乗仏教を学ぶ者、仏の子として、仏法が衰微していく様を見て、このままで良いとは思えません。「涅槃経」にも、善僧と言われる人でも法を破る人を見て見ぬふりをする人は法の敵であり、責め追い立てる人は仏の弟子だと書かれています。去る元仁年間(1224年)には、延暦寺や興福寺から何度も上申され、公の許可を得て、「選択集」の版木を焼き捨て、法然の墓を破壊しています。その際、法然の弟子たちは流罪にされています。

 

 ●第七段 謗法への断罪

 第七段では、客は態度を和らげて言いました。災難は法然の「選択集」が原因と言っていますが、天下泰平国土安穏は、誰しも望むところです。国は仏法によって栄え、仏法は人によって尊ばれて成り立ちます。国が滅び、人がいなくなってしまったならば、仏法は成り立ちません。まずは仏法が成り立つためには、国家が安穏でなければなりません。仮に災難をなくす方法があれば、教えてください。

  主人は言いました。悪法よりも正道の僧侶を重んじれば、国中は安穏となり天下は泰平となります。「涅槃経」はこう説いています。破壊者とは、悪口を言って、正法を誹謗し、重罪を永く犯しても改めず、懺悔する心がない人のことです。「法華経」では、大乗経典を誹謗する罪は五逆の大罪(5種の最も重い罪。一般には、父を殺すこと、母を殺すこと、阿羅漢(あらかん)を殺すこと、僧の和合を破ること、仏身を傷つけることをいい、一つでも犯せば無間地獄(むけんじごく)に落ちると説かれる)を犯すよりも重く、そのために地獄に堕ちて、永く出てくることができないのです。「涅槃経」では、五逆の罪を犯した者の罪を許しても、正法を謗る者への布施は認めません。蟻を殺しても必ず三悪道に堕ちるが、正法を誹謗する者を制止すれば、間違いなく菩薩の位に昇るのです。一日も早く天下の静謐を願うのであれば、国中の悪法を断つ以外に方法はありません。

 

 ●第八段 弾圧ではく布施をしない

 第八段では、客が言います。前段で謗法禁断の重要性を論じ、正法を守るためには、武装し、場合によっては謗法者を殺害することも許されるという経文を引用したことを問題視します。「大集経」にあるように、正法を誹謗する者を戒めようとして、逆に仏の禁則を破っているのではないかと。

 主人は答えます。あなたはまだそんなことを言うのですか。私は念仏の僧を弾圧せよといっているのではありません。その謗法(念仏の教え)が許せないだけです。釈迦以前の仏教では、謗法者を容赦なく殺害しましたが、釈迦が世に出てからは、謗法者への布施をやめることになったのです。そうすれば、四海万邦一切の四衆(この世のありとあらゆる人々が、悪法の僧侶に布施をせず、皆が正しい教えに帰依すれば、いかなる災難も起こりません。

 

 ●第九段 侵略の予言

 第九段では、客が襟を正して言います。主人が広く経文を引用して理非を示してくれたので、妄執が去って、耳目を開かせてくれました。国土泰平天下安穏は誰しも願うところであり、早く破壊者の布施をやめ、正法の僧侶を供養すれば、理想の国になることでしょう。その上で、最高の教えを崇めることとしましょう。

  主人は喜んで言いました。あなたは、正道に立ち返りました。ただし人の心は移ろいやすいものです。「薬師経」の七難のうち二難(侵略と内乱)が残っています。「大集経」でも三災のうち一災(戦乱)が起こっていません。「金光明経」でも、侵略の難が現れていません。「仁王経」でも、六難のうち一難(侵略)がありません。帝王は国家を基にして天下を治め、人臣は田園を領して世を渡っています。国を失い家が滅べば、どこに逃げるというのでしょうか。あなたが自分の身の安堵を思えば、まず天下の静謐を祈ることが必要です。

  この世に生きる人々が恐れていることは、後生(死後のあの世)のことです。だから、法然の邪教を信じてしまうのです。「大集経」「仁王経」「法華経」「涅槃経」の経典のどれも、謗法の罪を重視しています。早く信仰を改めて、真の大乗の教えに帰依すべきである。そうすれば、現実世界は不滅の仏の国になり、あわゆる場所は宝土となり、国に衰微なく、土が破壊から解放され、身は安全となり、心は安らかになるでしょう。

 

 ●第十段 改心の宣言

 第十段では、客が主人の言説を信じ、改心します。今生の安穏と後生の成仏のために、誰しも身を慎み、誰しも恐れていました。経文を開き、詳細な仏のことばを聞くと、正法を誹謗し、仏法を破る罪は重く深いものです。私が阿弥陀仏を信じ、その他の仏を捨て、浄土三部経を仰ぎ、諸経をないがしろにしたことは、私の判断というよりも、先達(法然)に従ったもので、他の人々も同様だと思います。このままでは、この世では、心を悩ませ、あの世では地獄に堕ちてしまいます。そのことは経文に照らしても明らかであり、疑問の余地がありません。あなた様の慈悲のこもった教えを仰ぎ、私の愚かな心を開き、速やかに対策を講じて、泰平を実現し、この世を安心したものとし、死後成仏を目指すことにしましょう。自分自身が信ずるだけでなく、他人の誤りを戒めることとします。

 

 ●現代の「立正安国論」が必要

 「立正安国論」を読んで、日蓮聖人が生きている現実社会と仏教の教えのかけ橋たらん、法華経の教えを広めること(立正)で現実社会を変え、国を安穏(安国)にしたいという思いが、750年の時を越えてビシビシと伝わってきます。私は読みながら、現代の「立正安国論」が必要ではないかと思いました。

  日本は、世界一の経済力がありながら、経済成長が停滞し、少子高齢化が進み、国民は幸福を感じることが少なく、マスコミは扇情的に煽るだけで、肝心の政治行政は右往左往しています。この夏の政権交代によって、友愛という無国籍で無責任な理念によって、国が左右されようとしています。今こそ、間違った邪な理念による政治を打ち破り、日本の伝統・国柄に基づく正しい理念を打ち立てて、それを国民に広めていかなければならないと思います。私自身微力ですが「我、日本の柱とならん」の気概で、現代の「立正安国論」を世に問わなければならないと思っています。

 

 ●日蓮聖人の生涯「日本一の智者となしたまへ」

 『立正安国論」を著した日蓮聖人の生涯を振り返ってみましょう。承久の乱の翌年、承久4年、貞応(じょうおう)元年(1222)年2月16日に現在の千葉県天津小湊(あまつこみなと、現在の鴨川市)に生まれました。現在その地には誕生寺が建立されています。幼名は善日麿です。11歳の時に、勉学のために天台宗清澄寺(せいちょうじ)へ入山しました(現在は日蓮宗に改宗)。道善房(天台僧侶)に師事します。この寺で四年間、寝食を忘れて学問や修行に打ち込みました。幼少時より、釈尊の説かれた真実に導く道はひとつであるのに、なぜさまざまな宗派が生まれ、まるで競い合うようになってしまったのかと疑問を抱いていました。そして、そこで虚空蔵菩薩に「日本一の智者となしたまへ」と祈願されました。16歳で、清澄寺にて正式に得度出家され、名を「是聖房蓮長」(ぜしょうぼうれんちょう)と改めました。 翌年、鎌倉遊学へ出発。念仏及び禅を修学します。21歳で鎌倉遊学より清澄山へ帰還。『戒体即身成仏』を述作します。さらに比叡山へ遊学。数多くの経典や書物を学び、法華経こそが釈尊の真実の教え・最高の経典であると確認されました。

 

 ●「我、日本の柱とならん」

 建長(けんちょう)5(1253)年32歳で立教開宗します。4月28日早朝、清澄山の旭森(あさひがもり)山頂に立ち、太平洋の彼方に暁闇を破って差し昇る朝日に向かって高らかに「南無妙法蓮華経」と、初めてお題目を唱え、ついに立教開宗の宣言をされると共に三つの誓願「我、日本の柱とならん。我、日本の眼目とならん。我、日本の大船とならん」を立てられたのです。同時に名を「日蓮」と改められました。その時開かれた法話は、念仏を信仰していた役人から目の敵とされたのでした。翌年33歳鎌倉で辻説法を開始。37歳で静岡県岩本寛相寺にて一切経を閲読します。

  39歳文応元(1260)年7月16日、前述した『立正安国論』を著し、前執権で幕府最高の実力者の北条時頼に送りました。誤った教えだと非難された他の宗派の僧らの憤激は激しく、以後幾度となく迫害を受けることになります。『立正安国論』が建白されて40日後、幕府や念仏批判に恨みを持っていた僧らにより、松葉ヶ谷の草庵が焼き討ちされましたが難を逃れました。この焼き討ちに始まり、伊豆流罪・小松原の襲撃、龍ノ口の頸の座につづく3年にわたる佐渡遠流が4大法難として有名です。

 

 ●「三度諫めて用いずは山林に入るべし」

 生涯、幾多の逆境にあっても日蓮聖人の法華経弘通の熱い思いは、衰えることはありませんでした。佐渡に流されていた間には、このうち2つの重要な御遺文を著わされました。そのひとつの『開目抄(かいもくしょう)』では、ご自身が経文(きょうもん)に予言された法華経弘通者との使命を自覚し、『歓心本尊抄(かんじんほんぞんしょう)』では、久遠の釈尊と永遠の救いの世界のすがたを示され、この会得した世界を大曼荼羅(だいまんだら)に顕されました。

 やがて、日蓮聖人が『立正安国論』で予見した蒙古襲来(もうこしゅうらい)が現実のものとなり、聖人は佐渡流罪を赦(ゆる)され、鎌倉に呼び戻されます。しかし、権力者たちは宗祖の諫言(かんげん)に耳を傾けることはありませんでした。「三度諫(いさ)めて用(もち)いずば山林に入るべし」の故事にならい、文永(ぶんえい)11(1274)年、日蓮聖人は帰依篤い南部公(あつなんぶこう)の待つ身延山に入り、示寂(じじゃく)されるに至るまでの8年間身延の地を出られることはありませんでした。身延では自らの教えの完成と弟子信徒の教育に専心され、『撰時抄(せんじしょう)』『報恩抄(ほうおんしょう)』に代表される数々の御遺文を遺されています。『撰時抄』では、仏法弘通(ぶっぽうぐづう)の時を論じ、末法の今こそ法華経の弘まるべき時であることを示されます。『報恩抄』は建治(けんじ)2(1276)年、恩師の道善房(どうぜんぼう)の死去の報に接し、報恩回向(えこう)について真情を述べられたものです。

 弘安(こうあん)5(1282)年9月、身体の衰えた日蓮聖人は、湯治療養(とうじりょうよう)のために山を下り、常陸(ひたち)の温泉に向かいます。旅の途中、にわかに衰え、武蔵国(むさしのくに)の池上氏の邸でご休息されますが、自らの示寂の近きことを知り、最後に『立正安国論』を講じ、10月13日、弟子らに囲まれながら、日蓮聖人は60年のご生涯を閉じられました。墓所は自らの魂が留まる身延山にとの聖人の遺志により、ご遺骨は身延の地に納められました。

(日蓮宗ポータルサイトhttp://www.nichiren.or.jp/より引用)

 

 ●道徳教材への活用

 日蓮聖人の生涯を振り返ると、いくつもの苦難にあっても、けっして挫けることなく、志にそって、生きる勇気を痛感します。このことは、私たち大人はもちろんですが、これからの次代を担う子供たちにも、知ってほしいと思います。日蓮聖人が取り上げられた、内村鑑三著書『代表的日本人』を子供向けに分かりやすくして、道徳の時間で活用すべきです。その本に取り上げらた5人とは、日蓮聖人、先日取り上げた二宮尊徳、中江藤樹、上杉庸山、西郷隆盛であります。鳩山政権によって、道徳教材である「心のノート」は無駄だということで、予算が削られてしまいました。しかし、この5人をはじめ、偉人や先達たちを道徳教材として、取り上げるべきであり、そのための予算措置は無駄ではないと思います。

 

 多くの方に知ってもらいたいので、クリックをお願いいたします。

  ・………………………………………………………………・…………………・・

 小沢独裁政治、民主党政権の早く終わらせるために・・・・・・

●「11.28日本解体阻止!守るぞ日本!国民大行動」

  第3弾渋谷&山手線各駅街頭演説会

 平成21年11月28日(土) ※ 雨天決行! 

  •   12時00分 「渋谷」駅ハチ公前広場 にて 街宣大演説会
  •   14時00分 山手線各駅へ移動
  •   15時00分 山手線全駅前 にて 一斉街宣活動
  •   16時30分 「渋谷」駅へ移動
  •   17時00分 「渋谷」駅ハチ公前広場 にて 全都総決起 大演説会
  •   18時30分 解散

 私赤池は17時からの大演説会に参加する予定です。奮ってご参加ください。

 詳細はこちらへhttp://www.ch-sakura.jp/topix/1290.html

 

 以上、お読み下さり、ありがとうございました。今後も、「国づくり(平和)、地域づくり(繁栄)は、人づくり(幸福)から」をモットーに、日本国家国民を守るために、落選したとはいえ、全身全霊で駆け続ける覚悟の赤池誠章です!ホームページもご覧下さい。http://www.akaike.com

「好きです!日本」前衆議院議員赤池まさあきの国政ニュース